教育の現実、知っていますか?

これまでのブログでは、日本の教育に関してさまざまな疑問を呈してきました。今回はもう少し詳しく、教育のあり方や教育改革についてお話していきたいと思います。


すべての子どもたちに教育の機会を

 日本の教育はこれまで、格差の少ない高い教育水準を保っており、諸外国からも高い評価を得ることが多いです。OECD (※) が行っている PISA (生徒の学習到達度調査) でも、日本は常に上位に位置しています。しかしこの理由についてOECDは、日本では多くの子どもたちが塾など民間の教育機関に行くことによって高い学力を維持している、と分析しています。つまり、学力をつけるためには学校の授業では不十分なため、それぞれの家庭でお金を出して、子どもたちを塾に通わせているわけです。これは経済格差が問題になる現在では特に、お金を持っている人がより良い教育を受けられるという「教育格差」が確立する原因にもなってしまいます。2017年のOECDの調査では、日本は教育への公的支出が34カ国中最下位であり、教育への私費負担は深刻な問題です。また、OECD加盟国のほとんどでは公立高校の授業料は無料ですが、日本はどうでしょうか。やっと最近になって高校の無償化が実施されるようにはなりましたが、新制度になってからは所得制限があるため、完全な無償化ではなくなりました。すでに多くの先進国では当たり前となっている教育の無償化において、日本は大きく遅れをとっているのです。さらに、子どもの貧困も増加して「教育格差」はますます広がっています。家庭環境に関係なく、すべての子どもたちに平等に教育の機会を与えることは、国を支える上でも非常に重要なことです。政府は教育への公的支出をもっと増やし、日本の教育を見直していかなければなりません。

※ OECD (経済協力開発機構):欧米諸国、アメリカ、日本などを含む約30か国の加盟国によって構成されており、「世界最大のシンクタンク」として様々な分野における政策調整・協力、意見交換などを行っています。(文部科学省HPより)


学ぶということ

 この日本の高い教育水準を保つ理由となっている塾依存の傾向は、他のさまざまな問題もはらんでいます。ひとつには、いい学校に入るための入試対策として勉強する、という結果主義的な考えです。以前からお話してきましたが、このような結果主義では、学ぶことの楽しみや創造性は生まれません。なぜなら目的が”合格する”ことであり、勉強はそのための手段でしかないからです。結果主義を全否定するわけではありませんが、これによって獲得した知識の幅は、自らのやる気や意欲によって導かれた知識とは大きく異なるはずです。また、結果主義を重んじる学校や塾では、どうしても”優秀な生徒を増やす”という目標がありますから、”できない子”の存在が無視されやすい傾向にあります。これが引き金となって、不登校やいじめなどが起こることもあるでしょうし、そのような学校や塾では、このような状況に対しての対策も手薄である可能性が高いです。しかしながら、いまだに日本では、教育者のみならず保護者にも、こうした結果主義的な考えが深く浸透しているようです。その証拠に、日本の一流と言われる大学でもしばしば、学生のディスカッション能力の低さや、講義を聞くだけの受動的な学び方が問題になります。大学入学は最終的な目標として考えられやすいため、新たに何かを学ぼうという欲求が生まれにくいのです。学力は高いと言われているのに日本の大学が世界では評価されにくいこと、また日本人の大学生の向学心が低いことは、このような結果主義の考え方とまったく関係がないわけではないように感じます。


学校 v.s. 塾

 さらに、実際の教育現場である学校にも問題はあります。高い学力をつけるには学校の授業では不十分である、と多くの人が考えるのには理由があるのです。学校では、授業内容はその先生の腕によって決まります。わかりやすい解説で生徒の興味や関心を引く先生もいれば、わけのわからない説明で生徒を混乱させるだけの先生もいます。この”先生の質の差”は、非常に罪深いものです。なぜならその先生の授業内容によって、その子たちが将来選ぶ道も変わってくる可能性があるからです。「もしあのとき数学の先生が良い先生だったら、理系になっていたかも…」みなさんもそのような経験があるのではないでしょうか。また、使用する教科書についても疑問です。授業で使われる教科書は、必ず文部科学省の検定を受けているので”きちんとしている”はずですが、その割には、子どもたちが書店へ行き、高価で分厚い参考書を買うのも日本では当たり前の光景です。アメリカのように分厚くて重い教科書でも、内容が充実して解説が詳細に書かれているような「この1冊で十分」と思えるようなものであれば、先生の質にも左右されにくいのではないでしょうか。高価な参考書を買わなくてすみますしね。最近ではデジタル教科書も広く使用されていますから、近い将来は厚さや重さも問題なくなるでしょう。

 話を戻しますが、前述の”先生の質”の問題は、多くの人が気になるところではないでしょうか。時代とともに”先生”に対する世間の考え方も変わってきているように思います。いい先生とは何か、これは非常に難しい問題です。しかし、少なくとも教壇に立って子どもたちを導くからには、豊かな人間性と深い知識を持っている人であってほしいと思います。まだ経験や知識も未熟な子どもたちにとって、先生の授業や話というのは非常に大きな影響力を持ちます。それによって人生が変わることもあります。教えるプロとして技術や知識を学ぶことは当然ですが、教育者の立場や責任をしっかり自覚してほしいものです。


本当の教育改革は、現場から

 もちろん、こうした中でも真面目に頑張っている先生たちはたくさんいることでしょう。このような先生たちを守ることも大切です。先生たちが授業内容や技術の質を高めるためにも、まず労働環境の改善が必要であるように思います。先生の業務量は大きな問題です。授業や生徒指導、保護者の対応、そして入試準備や学校の営業活動など、非常に多岐に渡ります。これをすべて完璧にこなせる先生なんているでしょうか。これからの学校には先生だけでなく、それぞれの専門家が連携して子どもを守るための”チーム”が必要ではないかと思うのです。スクールカウンセラーはいい例ですね。これは先生の負担を減らすとともに、いじめや不登校の対策や支援、もしくは特別支援教育にも必要な重要なシステムでもあります。また、閉鎖的で保守的な教育業界に、外部の人間を入れるということも重要なポイントです。教育改革として学校や先生の質の改善を求めるためにはまず、教育現場のことを理解し、このような新しい体制を整えることが大事であるように思います。逆に言えば、このような現状を理解せず、抜本的なシステムの見直しが図られていないからこそ、政府のやっている教育改革など理想論でしかないのです。だから日本の教育改革は前進しないのです。実際の現場の声を聞かずに、カリキュラムを変えようとか、英語教育を強化しようとか、結局は現場の先生たちを混乱させるだけではないでしょうか。先生たちのことを大事に考えることができないなら、教育改革など無駄なのです。

 すべての子どもたちにより良い教育の機会を与える。そのためには、「改革」を語る前にまず、「教育の現実」について深く考えることが必要です。



私たちERRCでは、前述の、”チーム”としての教育を目指します。

また、教育者を対象とした意見交換会を開催予定です。意見交換会のテーマは近日、発表致します。

(教育者とは、教員に関わらず、教育に関わるすべての人を意味します。)


ご意見をお待ちしております。

E-mail: errcjapan@gmail.com

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